「仮定」の表現は、以下の2つの要素から成り立っています。
●「条件節(protasis)」=もし~なら(条件:condition) / たとえ~でも(譲歩:concession)
●「帰結節(apodosis)」=~だろう
日本語で言う「条件節」には2種類あり、
●「譲歩節(concessive clause:たとえ~でも)」と対照的に用いられる場合の「条件節」は「conditional clause:もし~なら」
●「帰結節(apodosis:~だろう)」と対照的に用いられる場合の「条件節」は「protasis:もし~なら(条件) / たとえ~でも(譲歩)」
のように、対照される相手(譲歩節 / 帰結節)に応じて意味が(&英語の呼び名が)変わる点に要注意です。
文中に於ける「条件節・帰結節」の登場順には、「条件節 ⇒ 帰結節」の順番もあれば、「帰結節 ⇒ 条件節」の順になる場合もあります。
「条件節【protasis】」の語源は「forward(事前の)+stretch(詳述)」であり、「帰結節【apodosis】」の語源は「after(事後の)+give(与件)」であることからすると、「(最初に述べるのは)条件節 ⇒ (事後に与えられるのは)帰結節」が本来の順番ではありますが、現実の英語では「帰結節 ⇒ 条件節」の登場順も自然に用いられます。
♪If I win the million-dollar lottery, I will give you ten thousand bucks.
もし百万ドルの宝くじが当たったら、君には一万ドルをあげよう。
”金銭”関連で用いられる「buck」は「米ドル(US dollars)」の俗語。
上例は「条件節(もし宝くじで百万ドル当てたら)」⇒「帰結節(君には百分の一のおこぼれをあげよう)」の順番です・・・「条件」があまりにも”あり得なさそう”なので「帰結」の陳述にも現実味がないため、言われた相手も「やったぁ!一万ドルもらえるんだ!」などと喜ぶこともないでしょう。
(♪)I will give you ten thousand bucks, if I win the million-dollar lottery.
君には一万ドルあげるよ・・・もし百万ドルの宝くじが当たったらね。
上例は「帰結節(君に一万ドルあげよう)」⇒「条件節(もし宝くじで百万ドル当たったなら)」の順番です・・・出だしの「一万ドルもの大金をくれる」という帰結の文言にヌカ喜びした直後に「百万ドルの宝くじが当たったら、の話だけどね」という条件の非現実性で冷や水ぶっかけられる、という展開です。
「条件節」を伴わない「帰結節」だけの英文や、「帰結節」を伴わない「条件節」だけの英文も(けっこう頻繁に)出現します・・・こうした場合は、欠落している「条件節」や「帰結節」を想像的に補足して解釈します。
次例は「条件節」なしで「帰結節」のみの英文です。
♪When things couldn’t be worse, all we could do is laugh.
もうこれ以上悪くなりようがない、ってほど最悪の事態になると、後はただもう笑うしかない。
「things couldn’t be worse」の論理構造を(省略なしで全て補って)書けば、次の通りです。
things couldn’t be worse [than they actually are] ←帰結節 / 条件節→ [even if we tried to make them worse than they are]
現状よりも更に状態が悪化するなんてことは、たとえ現にあるその姿より更に悪化させようと試みたとしても、不可能であろう ⇒ 事態は既にもう”成り得る限りの最低最悪の状態”にまで行き着いている
次例は「帰結節」なしで「条件節」のみの英文です。
♪The average temperature and sea level of the globe have been rising for the last century unusually and unnaturally… if only mankind was wiser and less greedy.
地球の平均気温も平均海面も過去一世紀にわたり尋常一様でなく不自然な形で上昇中・・・あぁ、人類がもっと賢明でこうも強欲でなかったなら・・・。
「 if only mankind was wiser and less greedy」の論理構造を(省略なしで全て補って)書けば、次の通りです。
if only mankind was wiser and less greedy [than we actually are]←条件節 / 帰結節→[it would never be like this]
もし人類が今の我々が現にそうである水準よりも賢く、今の我々みたいに強欲でなかったら、このような事態にはなっていないだろう。
英語の「仮定」の表現は(たとえ表面的には存在しなくとも)常に「条件節」と「帰結節」のペアから成り立っています。
外見上存在しない「条件節」や「帰結節」は、聞き手・読み手が自らの想像力で補足解釈することになります・・・そうして相手側が主体的に想像してくれることによる逆説的説得力・描写力の高まりを期待できることもあって、「帰結節のみ(条件節なし)」の形態は(&出現例は遙かに少ないものの「条件節のみ(帰結節なし)」も)、現実の英語の仮定表現の中でそれなりに多用されるわけです。
大昔の英語では、「条件節」と「帰結節」とで全く同じ時制を用いていた時期がありました・・・例えば次のような感じです。
♪If you <were> silent, you <were> better.
君は黙っていた方がより良いだろう。
ちなみに、上例の「you were better」が時代を経るにつれて「you had better」に変わり、現代英語に於ける次の表現が生まれることになりました。
(♪)You had better be silent.
おとなしくしていたほうが身のためだよ。
上に紹介した「you were better ⇒ you had better」の事例にも垣間見られる通り
英語の「仮定」表現に於ける動詞の時制は、時代ごとの移り変わりが激しく、現代英語に於いてもなおその”流転”(というよりむしろ”迷走”)は続いており、一定のルールの枠組みに収まっているとは到底言い難い
という(外国人の英語学習者にとっては特に)はなはだ厄介な状況にあります・・・つまり
現代英語の「仮定法」のルールは、ルールであってルールでない・・・ある人が「正しい仮定法に基づく英語」と思って作った英文が、別のある人の目には「全然なってないヘンな英語」に映る、という事態が頻発する
というのが今の世の英語の「仮定法」の混迷の現実なのです。
そんな状況下にあってなお、「この点に関しては誰が何と言おうがどんな英文を考え付こうが絶対に揺らぐことはない」と言える「仮定表現の不動の鉄則」と言えば、せいぜい次の事ぐらいのものです。
「帰結節(~だろう)」の時制は「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」の時制と”同時~未来”であり、”過去”へと遡ることはあり得ない。
・・・裏返して言えば
「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」の時制は、必ずしも「帰結節(~だろう)」と”同時”とは限らず、”過去”に遡ることもあり得る・・・が、「条件節」が「帰結節」より”未来”になることはあり得ない。
ということになります。
♪If you invest in the stock, you will be very rich.
もしあなたが(今)その株式に投資すれば、あなたは(将来)大金持ちになるだろう。
♪If you had invested in the stock, you would be very rich.
もしあなたが(昔)その株式に投資していたならば、あなたは(今)大金持ちだろう。
♪If you had invested in the stock, you would have been very rich.
もしあなたが(昔)その株式に投資していたなら、あなたは(過去~今に至るまで)大金持ちだったろう。
上の3例は、「条件節(もし~なら)」・「帰結節(~だろう)」の時制はまちまちですが、両者の時制的対応に関しては
「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」は常に「帰結節(~だろう)」より時制的に”同時~先行”する
という点(だけ)では統一性があります。
この時間的関係を無視した次のような英文を作っても、意味が通じません。
(×)If you are very rich, you would have invested in the stock.
(×)(今)あなたが大金持ちなら、(昔)あの株式に投資していたということだろう。
英文法上の呼び名では、「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」は「protasis=前もって展開しておくべきもの」であるのに対し、「帰結節(~だろう)」は「apodosis=後で与え返すもの」となりますが、この「前・後」とは「文中に於ける登場順序」ではなく、「時制的な先行・後行」の関係に言及するもの、というわけです。
まとめると、英語の「仮定」の表現に於ける「条件節」と「帰結節」との”時制的”対応関係としては、以下のパターンがあり得ることになります。
「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”過去”の場合
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」も「帰結節(~だろう)」も共に”過去”
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”過去”、「帰結節(~だろう)」が”過去~現在(にまたがる継続的完了)”
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”過去”、「帰結節(~だろう)」が”現在”
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”過去”、「帰結節(~だろう)」が”未来”
「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”現在”の場合
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」も「帰結節(~だろう)」も共に”現在”
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”現在”、「帰結節(~だろう)」が”未来”
「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」が”未来”の場合
●「条件節(もし~なら / たとえ~でも)」も「帰結節(~だろう)」も共に”未来”
「帰結節は条件節より時間的に後行する」という制約上、「条件節」の時制が”過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来”と移り変わるにつれて、「帰結節」で言及し得る時制の範囲が狭まってゆく点が要注目ポイントです。
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と返答して「御挨拶」はそれでおしまい、ということにしましょう。
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