「挿入」を和英辞典で引けば、”parenthesis”という英単語に行き当たります。
・・・「”挿入”って言えばなんたって”insert:インサート”だろっ!」とかいうギラギラ脂ぎった思春期男子の叫び声はこの際無視させてもらうとして、「(性的脈絡ではない)文法的な意味での”挿入”」と言ったら「PARENTHESIS」である、ということで貫き通させていただきます・・・
そしてこの”parenthesis”はまた次の記号をも意味する語です:
( )
・・・日本語では”丸カッコ”、英語では”round brackets”(2つペアで使うので”parentheses”の複数形)で呼ばれるこの( )が、英文法で言うところの”parenthesis:挿入”の本質です ― 要するに、
英文の一連の流れに、その流れから外れる文章成文が割り込んだものとして、英文解釈上は( )にくくって捉えるべき”異分子”が「挿入(parenthesis)」
ということになります。
その「挿入(parenthesis)」の最もわかりやすい形である
挿入記号(parenthetic symbols)でくくられた挿入成文
についての解説から始めましょう。
●( )(round brackets)付き挿入
♪Since they can’t talk (at least in human terms), cats and dogs make good pets for us.
(少なくとも人間の言葉では)しゃべれないからこそ、猫や犬は我々にとってよいペットになるのである。
「in X terms / in terms of X」は、「Xという条件で」または「Xという言葉で」の意味。
「cats and dogs 【make】 good pets:猫や犬はいいペット【になる】」の部分は、日本人の大部分が「(×)【become】」を用いて失敗する表現・・・”become”は「(別の様態に変わる)変態」を意味する語であり、「Tadpoles become frogs.:オタマジャクシはカエルになる」のようにして使うもの。【make】が【~になる】の意味になるロジックは、「She will 【make】 a good wife [of herself].:彼女は[自らを材料にして]よい主婦を【作る】だろう⇒彼女はいずれいい奥さんになることだろう」のように「素材の”of”」を補っての【作成】として考えればわかりやすい。
(at least in human terms:少なくとも人間的な条件では / 人間の言語では)としてカッコに括られた部分は、
Cats and dogs talk in their own ways(猫や犬は彼らなりにモノを言っている)
という(動物学的にはもっともな)言い分を述べる人々の反論を最初から予測した上で、「猫語や犬語はともかく、少なくとも人間の言葉はしゃべらない」という形で”但し書き(ただしがき)”を述べたものです。
ちなみに、この種の「相手方の反論を予測して、事前に自己弁護の論陣を張っておく論法」を、「prolepsis:予弁法」と呼びます。
上例の「予弁法的ただし書き」に見る通り、英文中に於ける「挿入成分」には、「筆者・話者が(読み手・聞き手に語りかけるのではなく)独り言をぶつくさ並べ立ててる感じ」が伴うものであり、その”独り言”の背景には(ああでもない、こうでもない、と事前にやたらこねくり回した)複雑な論理や思惑が長~い尾を引いているものです・・・その「言外に漂う微妙な余韻」の部分を楽しめる(だけの感性というか知的類推能力を持った)人にとっては、「挿入(parenthesis)」は”文章の佳い隠し味”として感じられますが、そうでない人達にとっては”ひたすらウザい余計な文言”にしか思えないことでしょう・・・できれば”舌鼓を打ちつつ味わう側”に回りたいものですが、味わい方を知らぬ衆生を相手にした場合には”舌打ちを誘うだけ”の余計な挿入は、書き手・話し手としては(相手をきちんと選んだ上で)程々にしといたほうがいいでしょう。
「挿入(parenthesis)」と「単なる副詞成文」の違いについて感じ取ってもらうために、上の英文と、ほとんど変わらぬ次の英文とを、比較対照してもらうことにしましょうか:
♪Since they can’t talk in human terms, cats and dogs make good pets for us.
犬猫は人間の言葉ではしゃべれないから、彼らは我々の良いペットになる。
「they can’t talk (in human terms):彼らは語れない(人間の言葉を用いては)」に於ける(in human terms)は、単なる(副詞成文)であって”挿入成文”とは呼べません。
では、何故(in human terms:人間的な言葉では)は”副詞成文”で、(at least in human terms:少なくとも、人間的な言葉では)だと”挿入成文”になるのでしょうか? それは、”at least:少なくとも”の部分には「though cats and dogs may talk in their own language, they at least do not speak human language:(確かに猫や犬は彼ら独自の言語をしゃべるかもしれないが)少なくとも彼らは人間語はしゃべらない」という「聞き手・読み手の反論を予期した上での話者・筆者の予弁法的論陣」がしっかり張り巡らされており、その”抗弁”のくだりは、「犬猫はしゃべらない」という話の”本筋”からは完全に外れた”別筋”でしかなく、こういう「異物の混入」は、「they can’t talk (in human terms):犬猫は(人間語では)しゃべらない」に於ける「(副詞成文)の介在」とは全く異質のものと感じられるからです。
「挿入成文(parenthesis)」を「英文の自然な流れに水を差す”異質な流れ”の混入」として感知するには、「英文の”自然な流れ”」を肌合いで知っていることが大前提になるので、英文法の基本(Basic English Grammar)や英語構文の中核(English Sentence Structure: ESSENTIAL)の全てを完全に自らの言語学的血肉として同化した後でないと「自然な英文の流れに割り込んだ”挿入”の異物感なんて、わかるもんじゃない」と言うことができるわけですが・・・まぁ、それはそれとして、「こういうのって、”異物”だからね!」という数々の挿入事例を列挙しておいてもらえば、異物警戒アラートも発動しやすくなるでしょう、ということで、「挿入(PARENTHESIS)」のCHAPTERを用意した次第・・・皆さん、どうぞとくと御賞味あれ。
●―(dash)付き挿入
いささかもったいつけた作法になりますが、先程はparentheses(中カッコ)で括られていた挿入成文は、次のように「―」を用いて書くこともできます:
(♪)Since they can’t talk ― at least in human terms ― cats and dogs make good pets for us.
●,(comma)で区切られた挿入
(parentheses)も―(dash)も記号としてはあまりにもわざとらしすぎてイヤ、という人は、次のように「,(comma)」でくくって「ここ、挿入句、入りま~す!」とやることもできます(というか、普通はこの書き方になるでしょう):
(♪)Since they can’t talk, at least in human terms, cats and dogs make good pets for us.
上で紹介した「挿入成文」は「句(phrase≒比較的短いやつ)」でしたが、「節(clause≒文章そのもの)」が文章内に強引に割り込むタイプの「挿入」もあります。
♪If this planet becomes uninhabitable ― I’m afraid it certainly will in the near future ― what we must immediately do is DNA preservation of all species currently available for later restoration, whether on the regenerated earth or on some other planets.
もしこの惑星が生息不能になるならば ― 残念ながら近い将来きっとそうなるであろうが ― 我々が今ただちにやるべきことは、現時点で入手可能なあらゆる生物種のDNAを、後日(蘇った地球上でもあるいはどこか他の惑星の上でも)再生できるように貯蔵しておくことである。
「DNA情報を元に古代の恐竜を現代に蘇らせる」というアイディアでセンセーションを巻き起こした小説&映画『Jurassic Park(ジュラシック・パーク)』(1993年)がもはや荒唐無稽なSF物語ではない”technically feasible:技術的に可能”な話になり、地球環境の激変が”century(百年)”ではなく”decade(十年)”あるいはもっと短いスパンで人々の生活実感として痛感されるようになった2020年代の今、上の英文で提言されているような ― というか、『旧約聖書』の”ノアの箱舟”のエピソードの中で遠い昔に推奨されているような ― 「全地球規模での生物種(DNA)アーカイブ作成」は、「”地球を破滅させた張本人”としての人類の当然の義務」であろうと思われるのですが・・・まだまだ「自分達は大丈夫!」と(無根拠に)信じ込みたい個々の人間たちの意固地な頬被り体質と、「国家」だの「企業」だののせせこましい枠組みにがんじがらめに縛られて「バベルの塔建築」レベルの全人類的協調行動も取れずにいる全人類の惨めな不調和ぶりのせいで、そんな「最悪の事態への当然の備え」もままならぬまま、平均気温が40度を超えていよいよ地表では生息できなくなって慌てて地底なり海底なり宇宙なりへと逃げ込むことになったその暁には、生き残った人類は、「人間以外なにもいない空虚な生息空間」で、いったいどうやって、何のために、生き延びて行くつもりなのでしょう・・・
・・・とかなんとかいう話の内容はさておいて、上の英文で注目すべきは ― I’m afraid it certainly will in the near future ― という挿入成分の形 ― 「文章丸ごとぶっこみ型」になっています。「挿入」には、このような「節(clause)レベル」の大規模なやつも多いのです。
使われる記号は「―(ダッシュ)」だけとは限らない ― (丸カッコでくくる)や「, …, で区切る」といった作法もある ― という点では、「句(phrase)レベル」も「節(clause)レベル」も作法は同じです。
使われる記号は「―(ダッシュ)」だけとは限らない ― (丸カッコでくくる)や「, …, で区切る」といった作法もある ― という点では、「句(phrase)レベル」も「節(clause)レベル」も作法は同じです。
⇒If this planet becomes uninhabitable (I’m afraid it certainly will in the near future), what we must immediately do is DNA preservation of all species currently available for later restoration, whether on the regenerated earth or on some other planets.
⇒If this planet becomes uninhabitable, I’m afraid it certainly will in the near future, what we must immediately do is DNA preservation of all species currently available for later restoration, whether on the regenerated earth or on some other planets.
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♥Got it, guratche!♥・・・発音は「ガリット・グラッツィェ!」意味は「了解(英語)、感謝(イタリア語)」
と返答して「御挨拶」はそれでおしまい、ということにしましょう。
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